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20040609

憎悪で作られた国

日清戦争で、北洋艦隊が振るわなかったのは、北洋艦隊においては宰相・李鴻章が事実上のオーナーシップを発揮し、極端なまでの艦隊保全主義に走ったからだとも言う。
北洋艦隊は清朝の艦隊であると同時に、李鴻章が国内において権力を保持していく上で、ひとつの基盤となるものであり、ゆえにこれを失うことを李鴻章は恐れた、とも言われている。
国、という。しかし人々が国に忠誠を誓うのは、国が少なくとも自分に無体なことはしない、あるいは仮に自分が国のために死んだとしても、正当に評価してくれしかるべき補償をしてくれるという期待があるからではないだろうか。
愛国心がまったく無私のものであるとしたならば、例えば岳飛のように獄死させられ、なおかつ秦檜のように根強く後世に悪評を残すとしても、なおかつ国のために身を投げ出すことが出来なければならない。
旧約聖書のヨブ記における神の如く徹底的に理不尽な振る舞いをされてなお、人は国に対して忠誠心を維持し、保護を期待できるものだろうか。
孫文がかつて中国人を評して「砂のような」と形容したのは、中国人の団結力のなさ、徹底的に利己的であり、国家に忠誠心を持つことが出来ないまとまりのなさを嘆いてのことだが、そうなるにはそうなるだけの経緯と理由があったのである。
既に唐初、「貞観政要」の中で太宗・李世民は、君主に諫言せずして地位を守った古人を不忠であると断じている。そうした危うい状況に自らを追い込まないことが賢い身の処し方であるというコンセンサンスがあるのを、李世民は批判したわけだが、そういうエゴイスティックな人間ばかりが増えれば国は滅びると嘆いたところで、現実に諫言すれば失脚するような状況があるのであれば口を閉ざすのは自然の摂理でもある。
まずは自ら、そして自分の血縁集団の利益を最優先に考えれば、民族や国家というもののプライオリティは相対的に低くなる。
孫文はその結果生じた中国人のパブリックへの関心の低さを嘆いたが、例えば異民族支配に徹底抗戦しなかったからこそ、清朝なるものが成立したわけであり、入れ替わる支配者と自己を同一視しない、言わばすれた態度が、中国においては最合理だったからこそ、生き方として定着したわけである。
しかしそのようなことではいけないということで、孫文らの運動があり、日中戦争においては、中国はひとつの共同体として、それにあがらうことに成功した。
19世紀半ばまでの中国は、世界そのものであって、世界の中において世界人であるというアイデンティティは何の意味も持たない。アイデンティティとは他者と区別するためのものであるから、すべての人が含まれる世界人という概念は何のアイデンティティにもなりはしないのである。中国人にとって中国人であるということはまさしく世界人とほぼ同義語であって、だからこそ中国人というまとまりに積極的な意味を見出せないまま、西洋列強の侵略にいいようにされたのである。
はっきり言って、アヘン戦争のときに、日中戦争の時に見せたような粘り強さと団結を発揮していたならば、その後の中国の状況はよほど違っていただろうが、世界人という意識を脱却して中国人という枠組みに意味を見出すためには外国の横暴と、ほぼ100年の期間が必要だった、ということなのだろう。
中国人という概念はつまり外国人という他者、それも暴威に満ちた外国人が存在して初めて存在出来るのである。
ゲッペルスが言った、「憎むとはなんと素晴らしいことか」という言葉について、私たちは世界のひとつの現実として、それを唾棄するだけでなく、立ち止まって熟考すべきなのかも知れない。

江沢民体制以後、中国政府ならびに中国の世論の対日感情の悪化は甚だしくなっている。愛国心という言葉で正当化されると、西安日本人留学生事件の時に中国当局が見せた余りにもイリーガルな姿勢も正当化されてしまう。
この傾向を決して過小評価してはならない。日本を敵と見なすことによって、中国という塊がまとまりを見せることが出来るならば、彼らとしてもそれ以外の選択肢はないわけであるし、これが一指導者の交代や、希望的観測によって変化することはあり得ないからである。
もちろん、日本としては中国とは戦争はしないというのが最終的には最合理の判断になるわけだが、現在のコントロールされた反日が、コントロールのきかない反日に転化する危険性を考慮しないわけにはいかない。
中国としては日本が地位を上げていくことにことごとく反対するのが優先的な国益となるであろうし、我々がそれに唯々諾々と従うわけにも行かない以上、必ず摩擦は生じる。
日中の外交関係はこのように非常に厄介な、問題を多くはらんだものなのであって、中国を敵視したり、逆に盲信するのは「見たいものしか見ない」あらわれであるように思える。



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