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20040612

赦そう、しかし忘れまい

Forgive,but not forget.
いわゆる戦争、虐待、虐殺の被害を展示した各国の博物館・資料館には、この言葉、もしくはこの意味の言葉が掲げられていることが多い。
歴史を忘れれば、愚行が繰り返される、それはおそらく事実だろう。しかし愚行の多くも歴史に由来している。
赦そう、しかし忘れまい。
ベングリオン(イスラエル初代首相)はホロコーストについてそう評した。しかし忘れることなしに、赦すことは果たしてできるのだろうか。子々孫々に渡って苦難を教えていくうちに、果たしてそこに「赦す」という気持ちも伝えられるのだろうか。
そうでなければ、歴史は単に憎悪を拡大再生産させる装置に過ぎなくなってしまう。
人は死ぬのである。赦し、解りあえた人たちは死に、新しい世代がそれをうずめていく。しかし新しい世代には、もし憎悪だけが継承されていくのだとしたら、忘れないと言うことは、新しい惨劇を生むだけのことではないだろうか。
「裁くな、裁かれぬために」
と、イエスは説いた。赦しというものは、記憶の継承や、裁くことを越えていかなければならないのではないだろうか。単純に考えて、ある人物、ある集団が、ありとあらゆる場面で被害者となり得るものだろうか。
加害と被害の連鎖は、複雑に絡まりあい歴史の彼方へと続いている。
第1次世界大戦後、ドイツにハイパーインフレーションをもたらしたのは、フランスによるルール工業地帯への侵略・占領ではなかったか。
第2次世界大戦をもたらしたのはフランスである、と言い切るのは言い過ぎにしても、そのように言う人もいるのである。もし、加害体験、あるいは被害体験が世代を越えて継承されていくのだとしたら(歴史を忘れないと言うことはそういうことである)、原因と結果の延々たる過去への延長がもたらされるだけで、それは単なる自己正当化の道具に歴史が堕するということである。
それは歴史に学ぶということから最も遠い行為となるだろう。主体である自分と客体である歴史を突き放して分離することがなければ、自らの感情に振り回されることになる。
「私たちが弱かった時、ナチスは私たちを石鹸にしたではないか」
と、あるユダヤ人がイスラエルの数々の暴虐を正当化して言った。もし、このように自らの暴虐を正当化するために歴史を利用するのであれば、歴史をひきずりだして、自らの痛みを声高に叫ばぬことである。
強いことが正義で、弱いことが悪だと言うのであれば、ナチスが強くてユダヤ人が弱かったというだけの話であるからだ。
Forgive,but not forget.
確かにもっともな言葉であるが、これだけでは不充分であることを人類は更に学んでいくべきなのかも知れない。この言葉に続けて、次の言葉を加えるべきだろう。
― for being forgiven.

  “赦そう、しかし忘れまい、赦されんがために”



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