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20040716

愛国者の憂鬱

無相亭日乗さんの記事を読んで、愛国主義っていったいなんだろう、と改めて考えた。
国を愛するってことは、たぶん美徳なんだろうと思う。その感情が何に由来するのか、よく分からないけれども、己を捨てて国のために尽くすという行為には確かに美を感じる。
今ではコミカルにしか語られない赤尾敏氏の大日本愛国党だって、私の趣味にはあわないが反共主義という一点においては結果的に有為だったとも言えるわけで、現在の社会が一面においてそうしたものに支えられながら、冷笑するだけという態度はフェアではないように感じる。
では、愛国主義というものに、というかその「運動」に全面的に頷けるかというとそうでもない。
それは愛国の国というものをどう捉えるかということによるのだろうけども、得てして国=その時点の政府という形で、愛国主義が利用されることが多いからだ。
結果的に、著しい荒廃を国に与えた旧軍、あるいは他国に目を移せばナチスなどを、愛国主義の立場からすれば、「非国民」と罵ってもよさそうなものだが、余りそうした声が聞こえてこないのはどうしたことだろう。
愛国主義が胡散臭いのは、それは歴史を越えて存在していく民衆に基盤を置くものではなく、実際にはごく狭い党派的な集団とその利益に基盤を置いているからだと思う。
ごく狭い党派的な利益を、「国」と誤認させ、国への支持をそのまま己の党派的な利益にしようとする試みは、権力者の常套手段ではある。これは左右の別を問わない、政権を握ればそうした傾向は多かれ少なかれ出てくる。
愛国主義を胡散臭く感じるもうひとつの理由が、ただ単にそれが拡大された自己の全面的な肯定に過ぎないのではないかと思うからである。
それは、国と自分というものを対比関係、あるいは分離して捉えるのではなく、国を自己投影したものと見る、精神的な意味で国を私物化する行為ではないだろうか。
もし、国というものを自分と分離した形で見るならば国は国であって、どのような国であれ忠誠の対象となるはずである。しかし「かくあるべし」と国に求めるならば、その忠誠の対象は国ではなく、「かくあるべし」という思想の方ではないだろうか。思想と呼ぶほど大袈裟な話ではないかもしれないけれども。
発展途上国でしばしば見られる(もちろん先進国でも見られるが先進国の場合、相対的に統治がうまくいっているからこそ先進国なのであって、愛国主義の問題はそう大きくは扱われない)排外的な愛国主義は、傷ついたプライドの回復を欲しているのであり、それは○○人である自分のプライドの問題である。
国はそのダシに使われているに過ぎない。ならば、そうした人たちを愛国主義者と呼ぶことが果たして適当だろうか。

私たちは誰も究極的に言えば先を見通すことは出来ない。しかし程度問題としては可能なのであって、過ちを避けることは出来ないかも知れないが大きな過ちからは努力すれば遠ざかることが出来る。
自分のことを棚上げして言えば、愛国主義を言うならばまずは大きな過ちから遠ざかる努力をすることであって、そのための手段がなにか、これという確信はないが歴史はそのひとつの有力なツールではある。
誰かの思惑で踊らされる愛国主義者は、すでにその時点で国を愛するという行為からかなり程遠いところにいるのではないだろうか。



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