log1989
index about link bbs mail


20040818

歴史を知らない

ネットの面白いところは、互いの背景を知らずに議論できるところだ。もちろん、議論が出来ると言っても、こちらやあちらの問題があって、議論にならないこともしばしばあるのだが。
ある程度訓練を受けた人たちが、そうした「不毛な議論」に関わりあいたくないと思う気持ちはもっともだが、しつらえられた議論の場ではなく、さまざまな背景を持つ人たちの生の声に触れられるという利点はやはり捨てがたい。
そもそも、議論が成立しない場合、能力ゆえというよりは人格上の問題である場合がほとんどなので、あらゆる局面で不毛な議論になってしまうという人は、まずは自分の手法を省みるべきだろう。
そういう議論を行っている時、しばしば「おまえは歴史を知らないな」と言われることがある。もちろんすべてに通じているわけではないが、さて、「あなたの言う歴史ってなに?」と私は思ってしまう。
そういう人に限って、それは「自分が知っている、自分の論に都合のいい歴史」に過ぎないことが多くて、日本史や世界史の受験歴史程度の話を振ってもフォローできないことが多い。
これは左翼右翼(あるいは左翼的・右翼的)の別を問わず、事実から論を構築せずに、論がまず先にあり都合のいい事実をピックアップする、イデオロギー的な性癖を持っている人に顕著な特徴である。
もちろん、これは他山の石とすべき話であって、私も人間である限り、知らず知らずのうちに都合のいいことだけを見つめているかも知れない。
そうしたイデオロギー的な性癖を持つ人たちが、左右や国籍を問わず、しばしば「歴史を知らない」というフレーズを相手を非難する時に使用するということは(実際にはそう言っている人の方が歴史を知らないということがしばしばある)、イデオロギー上の武器として利用する場合、歴史がいかに使い勝手がいいかということを示しているように思う。
ある意図の下で、歴史が利用された場合、その危険がいかに大きいかも伺える。
こうした経験上、私は「歴史を知らない」という脅迫的な物言いをする人をその危険性に鈍感なのだと判断して論者としてはほとんど評価しないのだが、もちろん実際に歴史を知らないと言う場合もある。
その場合でさえ、これこれしかじかの「事実」を知らないと相手に指摘するならばいざ知らず、それをそのまま「=歴史」とすることの危うさには注意を払うべきだろう。
左翼も右翼もこうした手法が有効である限り、こうした手法を続けていくだろうが、そこで語られる歴史が歴史のすべてではないことに注意した方がいい。
とは言え、歴史を知らないということの危険も一方にはやはりある。
しかし歴史を完全に、100%知るということが可能だろうか。もちろんそんなことは不可能であるし、おのれが知った事実を100%としてしまっては、見方が固定され、好みに捉われる危険性が増すという点でそれは避けるべきなのだ。
同時に、歴史にまったく無知であっていいということにはならない。
歴史がそのような、偏った見方に陥りやすい、危険なものだとしても、結局のところこれしかないのだから。



| | Permalink | 2004 log


inserted by FC2 system