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20041209

君主と神と共和国

サン・ジュストは今に残っている肖像画などを見る限り、美貌ではあるけれども、目の覚めるというほどでもないように感じる。シシィの肖像であれば何時間見ても見飽きないのとはちょっと違う。
もっとも、静止画で見るとそれほどでもないが、動きを加えると何倍もチャーミングになる人がいる。
例えば石原裕次郎などは、顔の造詣的には美貌とは言いかねるけれども(石原慎太郎に言わせると、“ぶす”ということになるようだ)、彼の匂い立つような魅力は日本人の多くが認めるところである。
ともあれ、サン・ジュストはその美貌(or魅力)と大革命にかける情熱と大きな貢献から、“革命の大天使”と言われる。フランス革命の人物たちはあだ名がつけられていることが多いけれども(例えばシエイエスが“革命のもぐら”と呼ばれているようなもの)、“革命の大天使”は特に破格の華麗さであろう。
今日、焦点を当てるのは、国王裁判の時に検察側のサン・ジュストが言った言葉である。
「ルイ(16世)は王なのだ。共和国においては王という存在そのものが犯罪なのだ。人は罪なくして王たり得ない。私としてはその中間は認められない。ルイは反逆者として死ぬか、さもなくば王として統治しなければならない」
これはルイ16世の個人的な犯罪行為(オーストリアと内通したこと、亡命しようとしたこと)ではなく、共和国における君主主権という概念そのものを攻撃したものとして、共和政体のありようを喝破している。
もっとも、サン・ジュストは「私としては中間は認められない」とは言っているが、これはサン・ジュストが敢えて極端な国民主権か君主主権かの両極に立っているからで、実際には英国で既に成立しつつあった議院内閣制のように中間はある。
ラ・ファイエットらが推進しようとした、ミラボーもあるいはそうであった君主と共和国の共存、つまり立憲君主制というシステムが革命側のまとまりのなさと王室側の非妥協的な、妨害的な行為のために破綻した結果、サン・ジュストの極端な二者択一は出てきたのだけれども、共和国の本質が君主制度とは相容れない、仮に共存できるとしてもそれは妥協的な、慣習法的な立場に拠るものであるということは言えるだろう。
共和国のベースとなる国民主権と、王権神授説的な君主主権の世界観の対立である。
英国などは歴史的に君主主権をベースとしながら、議会の事実上の権力拡大、政府化によって、君主主権に制限を加えた形での国民主権という形が出来ている。ベースは君主主権なのだろう。
日本の場合は日本国憲法で、天皇の地位は主権者である国民の総意に基づくと規定されている。これは国民主権がベースになっているので、君主制度に付随する法概念的な矛盾は日本においてより著しい。
弘法大師は官寺として高野山に真言宗の総本山を建立した時、天皇を国主と呼び、それに招請するという形をとっている。この時代の国が日本と言う国家内の地域的な概念からすれば空海の国主という言い方はやや特殊だけれども、日本と言う国家の私的な所有者というニュアンスがそこにはあるように感じる。
天皇家はアマテラス大神よりニニギノミコトを通して日本と言う地の主に封じられたという神話に国主という地位が由来するのであれば、これは王権神授説そのものと言ってもいいだろう。
権力の法的な根拠が外部的な権威にあるのだとしたら、国家内における最高の権威者である専制君主は、外部によってその権威を担保されなければならない。
ヨーロッパではその権威の担保者が法王であったり、皇帝であったり、あるいは神であるわけだが、この構造そのものは普遍的に見られるものである。
そしてこの構造が、権威者としての神を国家が必要とすることから、その代行者としての天皇の存在を歴代の権力者たちが必要とした、つまり天皇にとってかわることが出来なかった最大の理由であろう。
日本の場合は特にアマテラス大神によって血統原理によって天皇たる身分が担保されている。アマテラスを最高神とするこの国の形に、歴代の権力者が所属するならば、この神話にまた彼らも拘束されざるを得ないのである。
本来、価値の原点というものは君主制においては虚空の存在である神に由来するのだが、日本の場合はその神があらかじめ天皇家を唯一の正統、つまり国主であると規定しているために君主原理によって統治するのであれば、ほぼ絶対に天皇家を乗り越えることは出来ないのだ。
この構造から、私は統一的な君主制国家においては多神教はいずれにしても実質的には一神教化していくだろうと考えている。
エジプトの幾つかの王朝が多神教をベースにしながらもアテン神などに収斂していったように、あるいはヒンズー教がシヴァ神やヴィシュヌ神をひとつなるものとして考えていったように、そして日本においても最高神としてアマテラスが位置づけられているように、多神教と言われるものにおいても時代が下るにつれ、つまり国家化が完成していくにつれ一神教的な性格が強くなっていく。
なぜならば価値の源泉は必ずひとつは存在しなければならず、ひとつ以上存在してはならないからである。
ローマの多神教はどうかというとローマは君主制に基盤を置いた国家ではないのだ。
価値の源泉としての役割は神には期待されていない。だから複数、しかも並立的に存在していても、別に構わないのである。
こうした一神教的な価値観、価値の源泉からの親疎を理由とした権威の大小を乗り越えるためには、君主制度を乗り越えるしかない。
サン・ジュストの言葉に戻れば「ルイは反逆者として処刑されるか、王として統治しなければならない」のだ。
では共和国の価値の源泉は何かというとそれは国民ということになる。国民の価値の源泉は、と問うと、その先はない。
無批判の絶対的な価値の源泉として人権宣言の名において、国民は究極の存在として想定されている。
1789年、人は神となったのだった。



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