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20050208

チェンバレン、チャーチル、イーデン

ネヴィル・チェンバレンの対独宥和政策はひとつの歴史的愚行として、喧伝されている。パシフィズムの担い手として、チェンバレンがノーベル平和賞を受賞したのも、その後に続くドイツの侵略を思えば、どちらかと言うとシニカルな歪んだ笑いをもたらす。
しかし当然のことだが、第1次世界大戦が第2次世界大戦の前にあったということを考えれば、宥和政策そのものは、当時としては合理的な判断であった。
これは英帝国の実力の問題である。
19世紀後半からアメリカ、ドイツの猛追を受け、更には大きく抜かれることになった英国の経済力では、第1次世界大戦以前においてさえ、ドイツと張り合うのはやっとであった。
インドという独占的な市場を得ていてなお、より付加価値の高いヨーロッパの市場では英国の繊維産業は競争力を持っていなかったし、一方で、食料、その他では大きく輸入に傾いていた。
金融国家としては一流、工業国としては二流から三流になりつつあるのが当時の英国の姿であって、帝国を維持しながら実のところ明らかに没落の射程に入っていたのである。
戦間期のボールドウィン内閣では、チャーチルは蔵相として緊縮政策を強いたが、財政的健全性を回復するために、軍縮を必要とし、軍縮のためにはパシフィズムを前提としたのは、誰よりもまずチャーチルであった。
ナチスの勢力拡大は、そうした条件の中でなされたのであり、宥和政策か否かというとあたかもその選択肢があったかのように思われるが、実際には英国には状況を作り出す力などなかったのである。
第2次世界大戦がどれほどの犠牲を英国に強いたか、それがいかにギャンブル的なものであったかということを考えれば、それを織り込んで政治に反映させるということは、政治においては不可能である。
それは政治の破綻であって、政治家が状況をなんとかコントロールしていこうとする限り、少なくともあのような状況において戦争を選択するということは、結果的にそうならない限り、政治家としては取りづらい選択であろう。
強硬姿勢というが、ドイツに対して「毅然とした態度を示す」たとして、ドイツがそれに応えてくれなければ英国はとんだ赤っ恥であり、それは権威の喪失を招き、更に危険な状況をエスカレートさせただけだろう。
ドイツは敗戦国ではあったが、英仏よりもなお大国ではあった。しかし戦争そのもののリスクは同じように負っていたはずであり、ぎりぎりのところでつづけられているブラフとみなし、宥和政策によって利害を調整しようとする動きは、決して批判されるものではない。
緒戦でのドイツの優位を見れば、しかもカウボーイの助けなしには、結局、英国には何の手出しも出来なかったことを思えば、1939年において宥和政策以外の選択肢が英国にあったと考えるほうがどうかしているのであって、英国は状況に流され、追認し、それをもっともらしく「宥和政策」と称する以外、合理的な態度はなかった。
ズデーテンラントへの侵略、オーストリア併合には黙ってみているしかなかった英国であったが、ポーランド侵攻では開戦に踏み切った。
これについて、結局それしか出来なかったように英国は空の守りを固めて、ブリテン諸島に篭り、批判はしても開戦には踏み切らないという選択がなかったかどうかと言う点については、考えてみる必要があると思う。
これはどこを最終線とするかの問題だけれど、ポーランド侵攻を「破綻」とするならば、その破綻は英国が選び取ったものではないわけで、政治の延長とさえいえない破滅的な戦争を解とする以外にないほど英国が弱体であったのであれば、問題は宥和政策にではなく、英国の弱さにあった。
チャーチルはボールドウィン内閣からは外れ、途中から党内野党のような存在に回ったが、これが彼に発言のフリーハンドを与えたという点は考慮されなければならない。
戦争が始まってしまえばチャーチルの対独強硬姿勢は合理であったかも知れないが、彼が閣内にあって、あるいは戦前に首相として内閣を率いていたならば、チェンバレンと同じ轍を踏まなかったかどうか、疑問である。
英国の弱さの問題を、宥和政策というあたかも選択的な政策の問題であったかのように捉え、チェンバレンを教訓化し、結果として破滅したのがイーデンである。
長らく外交畑を歩んできたイーデンにして、英国の脆弱さをきっちりと認識していなかったのではないかというフシがある。
それがスエズでの赤恥をもたらしたのだとしたら、やはり問題は宥和政策にではなく、国力にあるのだろう。
その時々で合理として選択した(あるいはそれしか選択できない)方法を「毅然とした決意」だとか「平和への希求」と包装するだけのことであって、それがたまたまうまくいった場合、後から見てあたかもそれが「意志の結果」であるかのように見てしまうのは、要らざる教訓を生み出してゆくことになる。



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