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20080428

女王の夫

王の妻は王妃である。では女王の夫は?
ヨーロッパの主要国で、初めて有夫の女王となったのが、カスティリアのイサベル女王である(イサベル1世)。彼女はアラゴン王フェルナンド2世と結婚したが、アラゴン王は彼女と結婚している期間においてカスティリア王だった。
彼ら夫妻をカトリコ両王と呼び、彼らの君臨をもって「スペイン」の開始とすることが多いが、実際には、カスティリアとアラゴンはそれぞれ別個の王国であり、単に、カスティリア女王がアラゴン王妃であり、アラゴン王が結婚の期間においてカスティリア王であったに過ぎない。
彼らのうち、妻の方が先に死ぬが、その時点で、フェルナンド2世はカスティリア王ではなくなったのである。
カスティリア王位は彼らの娘のフアナが継承し、女王となった。
フアナはすでに皇帝マクシミリアンの嫡男、ブルゴーニュ公フィリップと結婚していたが、前例に従って、ブルゴーニュ公フィリップも「女王との結婚期間において」カスティリア王となった。
フェリペ1世である。この後、王位は彼らの息子のカルロス(皇帝カール5世)、その息子のフェリペ2世へと継がれる。
さて、スペイン王(カスティリア・アラゴン両王)フェリペ2世は、実質的にはイングランド最初の女王であったメアリー1世と結婚していた。
イングランドでは、女王が玉座にあるのは事実上、初めてのことだったので、女王の夫をどのように遇するかという前例がなかった。
ここでは、ヨーロッパにおける前例であるスペインの例に引きずられた形になり、女王との結婚期間においてフェリペはイングランド王となった。
イングランド王としてはフィリップ1世となる。
その後、フィリップを称するイングランド王は登場していないが、今後、新たにフィリップ王が即位するとすれば、それはフィリップ2世となる可能性が高い。
メアリー1世の死去後、イングランドではエリザベス1世が即位したが、彼女は生涯独身を通した。
スコットランドではメアリー・ステュワートが即位しているが、彼女は三度、結婚している。最初の夫、フランス王フランソワ2世と、二番目の夫、ダーンリー卿ヘンリー・ステュワートはそれぞれ「女王の夫」としてスコットランド王となっている。
メアリー・スチュアートの三番目の夫となったボスウェル伯ジェイムズ・ヘップバーンは「スコットランド王ヘンリー」を殺害して、女王の夫となったがすぐに反乱が起きて大陸に逃れている。デンマークで捕らえられ、幽閉されたが、一説によると激しい拷問を受けたと言う。その罪状は「王殺し」であって、デンマークも王国なれば王殺しには厳しい態度で臨んだようだ。
ここからは、ヘンリー・ステュワートが単に女王の夫であるのみならず、名目にとどまらないスコットランド王として諸国に認識されていたことが伺える。
イングランドではその後、メアリー2世が女王として即位し、その夫、ウィリアム3世がイングランド王として「共同君臨」したことがあった。
これは、「女王との結婚期間において王」というのではなく、ウィリアム3世自身も独立して王である、という処遇のされ方だった。
メアリー2世とウィリアム3世の夫婦は妻が先に死んだが、ウィリアム3世はその後、単独の王として君臨した。
これはひとえに、ウィリアム3世の母がイングランド王チャールズ1世の娘であり、彼自身イングランド王家の血統だったからである。
ウィリアム3世崩御後は、メアリー2世の妹のアンが女王として即位したが、彼女の夫はデンマークの王子ジョージだったが、彼はイングランドにおいてはカンバーランド公に叙されたが、「イングランド王」にはならなかった。
これはイングランドにおいて女王の夫がイングランド王として遇されなかった最初の例である。以後、イングランドにはヴィクトリア、エリザベス2世とふたりの女王が登場するが、その夫はいずれも「イングランド王」にはなっていない。



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