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20080429

Secretary of State

アメリカ合衆国は若い国だが、近代的な共和国としては最古の歴史を持つ。
今日、いずれの共和国でも、大統領を意味する語として、President を用いるが、これもまたアメリカで用いられたのが最初の例で、もともとの意味は組織の長くらいの意味だ。
現在の感覚で言えば、たとえば CEO と呼ぶ感じに似ている。
国家といえどもひとつの組織体、国家をある種の「協会」と見なす、国家と対等の並立的な眼差しをこの語には感じる。
アメリカの基礎の部分にある、国家への本来的な不信感、自分たちのコミュニティと国家を、非内包的に見る思想がここにもあるように思う。
思えばそれは、共和国のもうひとつの原型であるフランスとは、対照的なのだが、それを述べるのは今日の本題ではない。
新しく築かれた共和国、アメリカでは、上院議員を senator (元老院議員)と呼ぶなど、古代の共和政を模した部分もあるのだが、もちろん旧宗主国英国を参考にした部分もあり、各省の長官を Secretary と呼ぶのは、英国の国家秘書の制を模している。
大臣職に相当する長官を「秘書」と呼ぶのはいかにも軽い感じがするが、内閣制度以前、王の輔弼として、職務にあたった国務秘書をそのまま英国からアメリカに導入した結果である。
当時、フランス革命は未だ起きていない状況において、「王なき国」としては欧米ではスイス、ヴェネツィアの例があるだけであり、いずれも村落共同体、都市国家という、アメリカとはかなり事情が違っていた。
アメリカが独立するに際して、ワシントンを王位につけようとする動きもあった。
国家とは王がいて成り立つもの、という常識がそれほど根強かったのだ。
もちろん、ワシントン自身王位を望まず、大統領、というその時点では不思議な地位をもってその代わりとしたのだが、各長官を「秘書」と呼ぶのは、王に仕える側近というニュアンスがそこにはある。
英国ではウォルポールによって責任内閣制が成立して以後、国務秘書は外務担当と内務担当に分離し、王個人の側近という立場を離れて、内閣の一員となった。
未だに、英国では外務大臣と内務大臣を minister とは呼ばず、secretary と呼ぶ。
この両者が、Secretary of State であるのだ。
アメリカでは、その語で、国務長官を意味する。
日本ではしばしば識者と呼ばれる人が、アメリカの外相が外務大臣ではなく国務長官と呼ばれることに特に重大な意味があるかのように言うことがある。
外交は、財政や教育と並立的な国家の職分のひとつではなく、まさに国家そのものとイコールである、そういうことを言いたいようだ。
言いたい内容自体は是とするとしても、歴史的な発想がなく、単に現在の字面だけを見るからそのような誤解が生じるのだ。
アメリカの外相が外務大臣ではなく国務長官と呼ばれるのは単に英国の制度を模倣したからで、英国で、Secretary of State という職分が生じたのは、統治者としての王の秘書が横滑りしただけのことだ。
しかも英国の Secretary of State は外交だけを職分とするのではなく、内政にも関与していたのであり、だからこそ後年、それが外務と内務に分かれた。
国務長官という名前だけで、そこに特別な深慮があるかのように言うのは、たとえば律令における太政官制度において、外務卿はなかったけれど(明治の太政官制度で新設された)、民部卿はいたから平安時代の日本は民政を大事にしていた、というような的外れな意見だ。



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