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20080501

イギリスの首相

イギリスは慣習法の国で、議会制民主主義国家としては最古の国だから、思わぬ古い制度が、現在まで持ち越されていることがある。
日本の場合、近代化とは、外来の文明を受容することであって、過去の文物との間にある時点で断絶がある。
もちろん、内閣制度が発足する前は太政官制度が政府の役割を果たしていたように、過去の制度の残滓はあったのだが、やはりそのまま律令制というわけではなく、制度的な革命が近代化の前提になっていた。
日本に限らず、だいたいの国はそうだ。
ただイギリスだけは近代化がそのまま自然発展した自国の歴史である点で特異な存在だ。
Secretary of State でも述べたような、非常に古い歴史的な呼称が、そのまま残っているのもイギリスの特徴だ。

1904年、勅許で正式に確認されるまで、イギリスには首相職がなかった。
もちろんそれ以前にも事実上の首相と認識されていた人たちはいたが、彼らがついていた職務は第一大蔵卿(First Lord of Treasure)であって、首相(Prime Minister)ではなかった。
首相なる語が登場したのも19世紀の後半、ディズレーリが「第一大蔵卿ならびに首相」と署名してからのことで、ここでいう首相とはあくまでディズレーリ個人の自称であるに過ぎなかった。
現在も第一大蔵卿という職務は存在しており、首相が兼務することになっている。よく、イギリスの首相官邸と呼ばれるダウニング街11番地は正確に言えば第一大蔵卿官邸であって、首相官邸ではない(もちろん事実上は首相官邸なのだが)。
第一大蔵卿は、もともとは、王室ならびに国家の財政を担当する大蔵委員会の長であって、フランスで言う財務総監に相当するものである。つまりはもともとは財務大臣なのだが、いずれの国でも財務省(大蔵省)が国家の中の国家化するのは通例のようで、フランスの財務総監がそうであったように、政府の首座を占めるようになった(もちろん国王自身を除いて)。
第一大蔵卿の前身は大蔵卿だが、バーリー卿ウィリアム・セシルなど、やはり首相格の人物がこの地位を占めていた。
第一大蔵卿が「首相化」するに伴い、事実上の財務大臣は大蔵委員会の次席の公庫主宰(Chancellor of the Exchequer)が務めるようになったのだが、現在でもイギリスの財務大臣は正確にはそのように呼ばれる(メディアでは Finance Minister とされることも多いが)。
第一大蔵卿のもとで内閣化した大蔵委員会(つまり内閣)に王の国務秘書(外務と内務)が加わることによって中央政府が形成されたのだが、形式的にも、由来的にもイギリスの内閣が王の輔弼、つまり王によって信託された個人的な機関として生じたことが名称からも明らかである。
このことは、非常に不可解な軋轢を19世紀に生じさせることにもなった。
ハノーヴァー朝において「君臨すれども統治せず」の原則が確立してなお、政府は王の形式的には秘書であったため、王の事実としての秘書の存在を二重権力が生じるものとして忌避するようになった。
べつだん権力的な意味ではなくとも、王も公的な存在ではあるのだからスケジュール管理などをなす秘書が必要なのだが、そうした職務をこなす王室秘書を政府は長らく秘書という呼称を与えることを拒否してきた。
彼らは侍従であって秘書ではない、なぜなら王の秘書はわれわれ政府だからだ、というのが政府の立場であって、これはヴィクトリア女王の治世の中頃まで、そうした扱いがなされてきた。
自然発生的近代国家イギリスならではの、ある種の喜劇的な出来事だった。



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