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20080509

Femme fatale

ナポレオンの妻ジョゼフィーヌは、悪女として有名だが、ナポレオンにとっては幸運の女神であって、彼女と共にある時にナポレオンの運は向き、彼女と別れてからはナポレオンの運命に暗雲が射すようになった。
有名な人物なので、細々としたプロフィールは言わない。男が女に求める、コケティッシュな魅力を体現したかのような女性だ。
バラス、ナポレオンと結果的にフランスを代表する権力者に相次いで愛され、ロシア皇帝アレクサンデル1世をも魅了している。
決して忠実な女ではなかった。不貞も働いたし、カネにだらしなく、頭も決して良くはなかった。
セントヘレナでナポレオンが回想して言うには、「余は彼女を心から愛していた。しかし尊敬はしなかった」ということで、女性らしい善良さも持ち合わせていた。
基本的には同情心溢れる人で、多くの人に利用されたが、愛されもした。権力的な嫉妬とも無縁で、誰かを見下したり、陰謀をたくらんだり、苛めるようなこともしなかった。
私としては女に望むものとしてはそれだけでもう充分であるように思うのだが。
ナポレオンが彼女に望んだ最大のもの、ナポレオンの息子を彼女は与えることが出来なかった。
1809年に、嫡子なきを理由として彼女は離婚されている。以後、マルメゾンの離宮で余生を送った。
1811年、ナポレオンの継室のマリー・ルイーズが、ナポレオンの嫡男ローマ王(ナポレオン2世、ライヒシュタット公)を産んだことを聞くと、ジョゼフィーヌは一度でよいからとローマ王に面会することを熱望した。
しかし何をされるか分からないとマリー・ルイーズが難色を示し、ナポレオンも却下したが、ジョゼフィーヌは秘密裏にパリを訪れ、伝手を辿って宮殿に忍び込み、乳飲み子のローマ王に面会している。
「どれほど多くの犠牲によってあなたがお生まれになったのでしょう」
と嘆きつつ、臣下の礼をとり、「陛下」に祝福を与えている。
1814年、ナポレオンは連合軍に敗れ、4月に退位した。ロシア皇帝アレクサンデル1世率いる連合軍はフランスに入り、アレクサンデル1世はすぐにマルメゾンに前皇后を表敬訪問している。
アレクサンデル1世は引き続き彼女の地位と生活が守られることを保証し、フランス女の魅力の粋を集めたようなこの女性に熱烈といえるほどの関心を抱いたが、直後にジョゼフィーヌは体調を崩し、ナポレオン退位からひと月もしないうちに、マルメゾンで逝去した。
エルバ島でこの知らせを聞いたナポレオンはひどく動揺したという。ナポレオンはこの後、乾坤一擲の逆転を狙ってフランスに再上陸し、皇帝に復位した後にワーテルローで最終的な敗北を喫するのだが、その後は大西洋の孤島セントヘレナに隔離されている。
セントヘレナで没し、その最期の言葉は「フランス、軍、軍司令官、ジョゼフィーヌ」であったと記録されている。

ジョゼフィーヌが最初の夫、ボーアルネー子爵との間に儲けたふたりの子供、息子ウジェーヌと娘オルタンスを通して、彼女の血統はヨーロッパの幾つかの王室に流れている(スウェーデン、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクなど)。
また、フランス皇帝ナポレオン3世の母方の祖母でもある。
日本では塩野七生が紹介して有名になったのだが、オスマン帝国のスルタン、マフムト2世の母は、ジョゼフィーヌの従姉妹のエイメではないかとする説もある。近年では別の説もあるようだが、依然としてエイメ=ジョゼフィーヌの従姉妹説は一般に流布している。



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