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20080515

暫定王位継承者

英国の王位継承は次のようになされる。番号が若い方が、基準としては優先される。

1.直系と傍系では直系優先
2.男系と女系では男系優先
3.男子と女子では男子優先
4.長系と幼系では長系が優先

それぞれを解説すると、基準1は、要はまずは君主の子の中で王位が継承されるということだ。
王に娘がひとりいて、王の弟に息子がいるとしても、王位は男子である王の弟やその息子に継承されずに、王の娘へと継承されるということだ。
基準2は、王に子がいないまま崩御したとしよう。そして、甥と姪がひとりずついたとする。甥は王の姉の子で、姪は王の弟の子だとする。この場合、甥は王から見て女系であり、姪は王から見て男系である。この場合は男系が優先するので、王位は姪の方へ行く。
基準3は、王に長女、次女、長男の順で子がいるとする。長男は末っ子だけれども、男子なので、女子よりも継承権が優先されるので、ふたりの姉をとばして王位は末っ子の長男へ行くということだ。
基準4は、王に長女と次女がいる場合、年長の長女へと王位が継承されるという意味だ。

以上を前提とすると、英国では女子の王位継承権も女系の王位継承権も認めてはいるものの、同一の兄弟姉妹の中では、男子が優先される仕組になっている。
仮に、王が70歳で、子は娘がひとりいるだけだとしても、王が新たに息子をもうける理論的可能性は残されている。
皇太子(皇太女)とは次に王位につくことが確定している人との本来の意味を考慮すれば、そういう場合、どれほど王女が次に王位を継ぐことが確実でも、皇太子にはなれないことになる。
単に王位継承権第一位であるにとどまらず、諸般の状況から王位を継ぐことがほぼ確実な女性は、これまでは皇太子にはならずに(「ほぼ確実」は「確実」とは違うので)、暫定王位継承者として遇されてきた。
暫定王位継承者とはその立場であると同時にある種の称号でもある。
つまりこの者は暫定王位継承者であると勅令で宣言された女性であり、英国史上、これまで3人の女性がそう名乗り、そう遇されてきた。
一人目はジョージ4世の一人娘シャーロット王女である。
ジョージ4世は王妃のキャロライン妃とはひどく不仲で、結婚直後に同居したのみで、すぐに長い別居状態になっている。自身が即位する時も、王妃の即位式への出席、戴冠を許さないという嫌がらせをしていて、彼が崩御した際にタイムズ紙が激烈に故人となった王を非難する理由のひとつとなった。
シャーロット王女はそうした夫婦の唯一の娘だったが、当然ながら父親をほとんど呪っているほどに嫌悪していた。それでも、王の唯一の娘ではあるので、彼女は暫定王位継承者として遇された(王と王妃の間にその後に息子が生まれる可能性は事実上皆無だったので)。
シャーロット王女の夫がザクセン・コーブルク・ゴータ公子で、後に初代ベルギー国王となるレオポルト1世である。レオポルト1世の姉は、ヴィクトリア女王の母であったので、ヴィクトリア女王にとっては叔父、ということになる。
シャーロット王女は、出産のおりに命を落とした。子も死産だった。
こうして、ジョージ4世の血統は断絶したので、ジョージ4世が崩御した後は、その次弟のウィリアム4世が即位した。
ウィリアム4世がまだ王位につく前、クラレンス公だった頃、彼は王位を継ぐ立場になかったので、気ままな生活を送り、女優のドロシー・ジョーダンと事実婚関係にあった。彼らの間には十人の庶子がいたが、庶子であるので王位継承権はなかった。ウィリアム4世はこれらの子にフィッツクラレンス(クラレンスの子、という意味)なる姓を与え、長男のジョージ・オーガスタスは初代ミュンスター伯爵に叙されている。
シャーロット王女が悲劇的な死を迎えた後、王位を継承する見通しとなったクラレンス公は、次代の王位継承者を確保するために、ドロシー・ジョーダンとの関係を終わらせ、新たにザクセン・マイニンゲン侯女のアデレードを正式の妃に迎えた。
ウィリアム4世とアデレード王妃との間には、7人の子が生まれたが、いずれも死産か夭折していて、直系の王位継承者は得られない見通しになった。
ウィリアム4世夫妻にとって最後の子が1824年に死産となった結果、王のすぐ下の弟ケント公(その時点では既に故人)の一粒種で忘れ形見のヴィクトリア、当時5歳が事実上の王位継承者となり、その後、暫定王位継承者となった。
これが二人目の暫定王位継承者で、ヴィクトリアは1837年、18歳で連合王国の女王となった。
三人目の暫定王位継承者はもちろん現在の女王、エリザベス2世である。
彼女の父、ジョージ6世には子供の時から言語障害があり、非常に引っ込み思案な性格だった。本来、王位を望む立場でもなく、そうした野心もまったく皆無だったが、彼の兄のエドワード8世はウォリス・シンプソンと結婚するために王位を投げ出した結果、即位せざるをえなくなった。
内気で社交的な場をとても苦痛に感じる夫に、非常な重荷を背負わせたとして、恋女房だったエリザベス王妃(エリザベス2世即位後はエリザベス皇太后)は生涯、エドワード8世(ウィンザー公)とその妻ウォリスを許さなかった。
彼女は国王の責務が決して頑丈ではない夫の命を縮めさせたと考えていた。
ジョージ6世とエリザベス王妃にはなかなか子供が生まれず、エリザベスとマーガレットの王女たちも人工授精によって誕生している。
人工授精としてはごく初期の例であり、現女王エリザベス2世はもちろん英王室の中で初めて人工授精によって誕生した人物である。
そうした不妊傾向がある夫妻だったから、マーガレット王女が生まれた後は、新たに息子を得られる可能性もほぼ皆無であり、エリザベスが事実上の王位継承者であることは早い時期から確定していた。そして彼女もまた、暫定王位継承者となった。
ちなみに、ウィキペディアのこちらのページではヴィクトリア女王の長女ヴィクトリア(ドイツ帝国皇帝フリードリヒ2世妃)を暫定王位継承者としているが、暫定王位継承者とは単に王位継承権第一位の女性ではなく、王位を継ぐことがほぼ確実な女性に与えられる称号の一種なので、これは正確ではない。
遠からぬうちに、彼女に弟が生まれるだろうことは確率的に決して低い予想ではなく、実際、翌年には弟のエドワード7世が誕生しているからだ。
ただ、彼女の誕生が特別だったのは、彼女の誕生によって、ヴィクトリア女王の叔父のカンバーラント公アーネストとその子らの家系に英国王位が行く可能性が潰れたからだ。
ヴィクトリアが即位するまで、英国はハノーヴァー王国と同君連合だったが、ハノーヴァー王国は女子・女系継承を認めていなかったので、ヴィクトリアが即位すると同時に同君連合は解消され、彼女の叔父のカンバーラント公アーネストがハノーヴァー王エルンスト・アウグストとして即位した。
非常に評判の悪い人物で、ハノーヴァー王としては、ゲッティンゲン大学からグリム兄弟を含む七名の自由主義的な教授たちを追放する愚を犯している。
英国国民はこの人物だけは絶対に英国王になって欲しくなかったので、女王夫妻に長女が生まれたことから、「カンバーラント公の脅威」から解放され、それを喜んだのだった。



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