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20081118

国籍とDNA

国籍法改正について、DNA検査が必要と言う向きもあるが、そもそも婚外子国籍確認訴訟で何が問題になったのかを知っていてそう言うのだろうか。
通説である一元的内在制約説では、公共の福祉による制限は個々の人権間の調整のためになされるのであり、この場合、母系外国人の父系生後認知婚外子(長くなるので以後、当該婚外子と記述)が被る不利益を社会の利益の名目上は正当化し難い。
社会の利益を、多数の個々人の社会権を担保する利益と見たとしても(個人の集合=社会)、国民としての権利のごく基礎的な条件である国籍の取得阻害までを正当化できる理由とはならない。
仮に、百歩譲って、二元的内在外在制約説の立場に立つとしても、個人の利益を公共の福祉の名において制限するには、合理的な事由が必要であり、それがあったとしても、国籍取得のような重要な権利を抑制する理由とはならない。
しかもこの場合は、後述するように合理的な事由さえない。

そもそも論として法的な意味における、親子とは何かということから考える必要がある。
ここでは、いわゆる養子などの二次的な親子関係は話を簡潔化するために除く。
一般に言う、いわゆる「実の親子」関係は法的には何によって担保されているのかという話である。
親子関係は、母子関係と父子関係に分けられる。両者は、法的な定義が異なるのである。
母とは、その子を出産した女性のことである。
血縁は関係がない。ただ、出産した、という事実のみで判断されるのだ。従って、AとBの夫婦の依頼によって、それぞれに面識のない女性Cと男性Dの卵子と精子を用いて受精卵を作り、女性E(男性Fと婚姻関係にある)の胎内に受精卵を移植し、女性Eが出産した場合、生まれてきた子の法的な母親は女性Eになる。
先日問題となっていた、高田延彦・向井亜紀夫妻による彼らが代理出産で儲けた子らの国籍確認訴訟でも、最高裁は「子の母は産んだ女性」との判断を覆さなかった。
高田・向井夫妻の場合は依頼人である彼らが同時に受精卵の提供者(遺伝的な両親)だったのだが、それでも最高裁の判断は変わらなかった。
つまり日本の法律では、第一義的には血縁、つまりDNAは最重視の基準とは見なされていないのだ。
あの裁判では、主に保守的な立場の人たちから、高田・向井夫妻を批判する声が多かったようだが、今回、同じ人たちが国籍法改正についてDNAを重視してくれるようになったとすれば、高田・向井夫妻には朗報であることだろう。
実際のところ、通常の出産においても、DNAは通常、考慮されていない。
通常に出産している場合であっても、出産した女性が他人の受精卵を宿していないとは他人には言い切れないことだが、DNA検査は課せられていない。
愛国者たちは女性がカネを貰って遺伝上の両親が外国人の子を産むかもしれない「偽装遺伝出産」の可能性は憂慮しないのだろうか。
法的な父親の定義は更にあやふやである。
法的な父親とは第一に子の母親と結婚関係にある(妊娠時点であった)男性であり、子を認知した男性である。
子の父親は子の母親から付随的に定義されるものであり、にもかかわらずここでもDNA鑑定は課せられていない。
例で挙げたケースで言うならば出産した女性Eの夫である男性Fが法律的には子の父親となる。
但し、DNAがまったく用いられないかというとそうではなく、子の出産を知って一年以内に、子の父親が血縁上の親子関係の不在を申し立て充分に証明できるのであれば、嫡出関係は取り消される。
だがその期間を過ぎてしまえば、嫡出関係は血縁上の関係がなくても父親側からの要請は出来ない。
今回問題になるのは、婚姻外の出産で母親が日本人で父親が外国人の場合との比較である。
母親が日本人で外国人が父親の場合は婚姻関係にない場合であっても、子は日本国籍を取得できる。
これが母と父の国籍が入れ替われば、子は日本国籍を取得できないのだから、これは二重の意味で法の下の平等にそぐわないものだ。
第一に男性に対して女性を優遇する男性差別として。
第二に男系に対して女系を優遇する女系子と男系子の間の差別として。
これは子の母親が出産という事実によって自明的に子との血縁が証明されていると考えられているのに対して、父子関係が夫婦、もしくは男女のパートナー関係に付随した二次的な関係であるためだ。
そもそも高田・向井夫妻による裁判で見られるように遺伝上・血縁上の親子関係を最重視した法制度になっていないにも関わらず、外国人との間の婚外子にだけ血縁関係が絶対的に要求されるというのも、バランスを欠いているが、ともかくもそうした考えからそうなっていたわけである。
父子関係が出産のような自明的な基準を持たないために、今回の法改正は確かに理論的には偽装認知は可能である。

しかし例えば、ある河川を汚染している原因として、工場排水が要因の1%を占め、生活排水が99%を占めているような場合、ことさら1%のみを危険視するのはバランスを欠いているという以上に、その度合いが甚だしくて、ほとんど法の下の平等を毀損している。
まして工場で排水するためには非常に厳格な事実上の必要条件がある場合、これをことさら危険視するのは、ミスリードも甚だしいものだ。
認知をするためには、少なくとも血縁上の父子関係が存在するという相当な状況がなければならない。
第一に他に法律上の父親があってはならない。
第二に、父親に母親と物理的に接触が可能な状況が子の妊娠時にあったことを証明しなければならない。
そのような手間を、DNA鑑定を含めて、父親がかけたがらない時に、やはり母系子と比較して、父系子の法の下の平等は阻害される。
一方、父親は子に対して養育義務の他、様々な義務を負う。
たとえば、通常の夫婦関係において、一人息子が3歳の時に、子が実は不倫によって生まれた子で、自分の血縁上の子ではないと父親が知ったとしよう。これは離婚事由になる不貞の事実であり、これを理由として夫婦が離婚したとしても、法律上の父親は子に対して養育義務を負う。ことほどさように、親子関係は法律的には強固なもので、偽装認知を試みるような不法滞在者が支払える報酬程度では追いつかないほどリスクが高い。
現状(改正以前の国籍法)でも、あわせて結婚関係をむすべば偽装認知は可能だが、法的な偽装の手段としてこれが用いられた例は少なくとも私は知らない。具体例があったら教えて欲しいものだ。
偽装結婚がこうした目的のための手段としては一般的で、条件もはるかに容易である。
どうしてわざわざ報酬も高いし志望者を募るのも難しい、条件もはるかに厳しい偽装認知という手段を不法入国滞在者が取りたがるのかを教えていただきたい。
私としては、公共の福祉のための合理的な事由さえ形成されていないと見るゆえんだが、危険だ危険だとただ「思う」だけで、国籍取得ほどの重大な社会権を抑制できると考えるその発想自体が、法の支配を根幹に据えて構築されている現代の日本社会を事実として認識しているのかどうか疑わしく感じさせる。
他人の人権に対してかくも冷淡な酷薄さと言う点では性格の問題を、具体例や具体的な危険の度合いから思考を推し量ることが出来ないという点では知性の問題を、現代の日本社会がどのような仕組で構築されているのかを知らないという点では知識の問題を指摘しておきたい。

[追記]
国籍法には扶養義務が書かれていないので、今回の改正で国籍を取得した子に対しては扶養義務が発生しないとのデマが流れているよう。
常識を期待するだけ無駄?政治経済の常識もない?
これでは韓国のロウソクデモ以下のリテラシー。
こんなデマに踊らされている人たちは、「むずかしいことにはかかわらないほうがいいよ」。

参考:
国籍法改正に関する反対意見の稚拙さ - 冥王星は小惑星なり
2008-11-16 - ta ptera ekeina en tei aeri.
国籍法改正問題とDNA鑑定 - la_causette
ふと思った - 土曜の夜、牛吠える。青瓢箪



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