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20040318

フランスは神を避ける

2月10日、フランスの学校において宗教的シンボルを締め出す法律が成立した。
この宗教的シンボルに相当するものとして、女性イスラム教徒のスカーフ、ユダヤ教徒のキッパ(縁なし帽子)、キリスト教徒の十字架などが挙げられているが、実際には、ユダヤ教徒とキリスト教徒が宗教的シンボルを学校に身につけてくることはほとんどないので、「イスラムを狙い撃ちにしたものだ」と、フランス国内のイスラム教徒の間、およびイスラム圏で反発が強まっている。
1989年、とある公立中学校がスカーフの着用を譲らなかったイスラム女生徒を停学処分として以来、この問題は侃々諤々の論争を巻き起こしてきたが、今回、フランス国家として法という形で一応の基準を示したわけである。
この問題が発生した時、ミッテラン大統領夫人(当時)が「スカーフくらい目くじら立てなくていいんじゃないの?」と発言したことから、信教の自由と、ドレスコードのありかた、政教分離をめぐって、たかだかスカーフ一枚のこととは言いながらフランス共和国のありようを揺るがす問題として、論争が激化してきた。
フランスは「カトリック教会の長女」といわれながら、宗教改革の時代には新教徒とカトリックが激しく対立し、血なまぐさい抗争を繰り返した歴史を持っている。
ブルボン王朝の祖アンリ4世はもともと新教徒だったが、ヴァロア王朝の断絶に伴い、フランス王に即位するにあたってカトリックに改宗、更に各人の信教の自由を認めた「ナントの勅令」を発して、宗教戦争に終止符を打った。
しかしその87年後、絶対王権を過信したルイ14世によって「ナントの勅令」は廃止され、フランスの新教徒たちはオランダやプロイセンに移住した。新教徒たちは産業資本家が多かったので、彼らを追放したことによってフランスの産業革命は英国のそれよりも大幅に遅れることになったと言われている。
カトリック教会は既得権益集団と化し、フランスの民衆から富を吸い上げ、しばしば国政をも壟断した。
フランス革命によって成立した国民議会はこうした弊害を取り除くべく、フランスのカトリック教会の僧侶たちをヴァチカンから独立させ、国家直属の宗教担当公務員とした。
更にジャコバン派が権力を獲得するに及んで、フランス共和国は宗教を否定し、徹底した政教分離を国是となした。
この基本方針そのものは現在の第5共和国においても継続している。
アメリカ大統領は就任式で聖書に手を置いて宣誓し、しばしば神について言及するが、フランスでは考えられない光景である。
「他宗教の信者、それどころか悪魔信仰の信者の立場はどうなるのだ」
と、フランス人は考える。信仰の自由とは、法に反さぬ限り悪魔信仰でさえも容認されてしかるべきで(ただしカルト扱いはするが)、それゆえに国家の機関と宗教は一切交差してはならぬのだ、とフランス人は考える。
公教育は共和国の土台であり、そうであればこそスカーフ一枚のこととは言え、適当に黙認することが出来ないのだ。
この姿勢そのものは近代国家としてしごくもっともなことだと思う。この件においては、私は断固としてフランス政府を支持する。
しかし近代的、進歩的であるからこそ、イスラム教徒から憎しみを買うとは、なんとも皮肉なことだ。
BBC NEWS から。フランスにおいてムスリムは少数派であり、弱者である。
しかし弱者であることがそのまま「正義」であるとは限らない一例がここにある。実際上はともかく少なくとも表面的にはフランスは価値相対主義を標榜してきており、それがイスラム諸国などとの外交関係強化へとウィングを伸ばす前提になってきた。しかしイスラム自身は決して価値相対主義ではない。
神の名における絶対性を志向する宗教なのだ。フランスが今回陥った落とし穴は、相互理解の限界を図らずも露呈させた。



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