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20040402

日本は核保有国になるべきか?

これについての私の考えは NO である。少なくとも、現在のところは、としておくけれども。
核兵器をどのような性格の兵器と定義するかによって、かなり思考が違ってくるのだが、“破壊力が強すぎて、実際には兵器としては用いるべきではないが、抑止力にはなる兵器”と考えてみる。
核兵器戦略については、核抑止力について語ることが多いのだから、この定義は実情からそう外れてはいないだろう。
そしてそのような性格を持つ核兵器を日本が持つべきか否かという問いかけだが、これに対して、私は NO と返答したい。
この場合、日本の仮想敵国として、北朝鮮、中華人民共和国を想定していることを先に述べておく。
核抑止力が成立するためにはいくつかの条件が必要になる。
まず、第一の前提として、“核戦争を引き起こしたくない”という欲求が双方になければならない。キューバ危機において、世界は実際に核戦争寸前にまで行ったのだが、そもそも危機がそこまで悪化したのは、この欲求が双方にあるか否か、米ソ双方に確信がなかったからである。
「相手は本当に核戦争を始めるかも知れない」という懸念が危機のエスカレーションを生じさせたと言える。キューバ危機はどちらの陣営にとっても非常に危険な賭けだったが、それを経験したことによって、少なくとも相手は自滅的にはならない最低限度の理性を所有していると米ソに知らしめ、後の緊張緩和への礎がそれによって築かれたのである。
核抑止力が機能するためには、相手が自分の最終的な損得を判断できる“きちんとしたエゴイスト”である必要がある。
イデオロギーや宗教が絡んだ場合、エゴイズムによって損得勘定する能力が大幅に阻害されるので、そうした狂信者に対しては、核抑止力が機能しないか、少なくとも機能しにくくなる。
拉致というどう考えても長期的には不利益にしかならない行動に踏み切った北朝鮮に対して、究極の理性の構築物である核抑止力が通用するとは、なかなか思えない。
第二の前提として、核戦争による不利益が、瀬戸際外交を進めた場合の利益よりもはるかに大きくないと、核抑止力は生じない。もともと大して所有していない者にとって、それをすべて失ったとしても、大した損失ではないのだ。
日本やアメリカという大国が、北朝鮮という芥子粒ほどの弱小国にかくも振り回されている理由はここにある。
もちろん、我々がいくらかでも損失を覚悟して、戦端を開くことを覚悟したならば、万が一にでも日米同盟が北朝鮮に敗れるはずがない。しかしその損失を甘受するには、それは余りにも貴重であるし、北朝鮮を屈服させたとしても引き合わない。
中国について言えば、現在の発展した中国に対してならば、この意味における核抑止力は通じるだろう。ただし、核抑止力そのものはアメリカの核という形で既にある。日本が中国に対して経済援助をしたのは、中国の北朝鮮化を防ぎ、中国政府が戦争に踏み切るコストを大きくさせるという安全保障上の意味もあったと私は見ている。
これとても、ゼロサムゲーム的なチキンレースが生じたならば、中国の方がはるかに有利である。
何故ならば、仮に1億人互いに死ねば、日本人は殆ど全滅なのに対して、中国はなおも12億人いるからである。また、中国人の“価値”が飛躍的に高まりつつあるとは言え、共産体制にある中国においてはなおも人民のコストは日米に比較すれば圧倒的に安い。
人民消耗耐性率がお話にならないほどかけ離れているのだ。
天安門事件の時、ケ小平がコメントしたように「中国では100万人や200万人が死んだところでへっちゃら」なのである。
中国に対して、核抑止力そのものは働くが、それは日本に対してより強く働くのである。核抑止力戦略を根幹に据えるのはこの意味でも得策ではない。

もし日本が本気で核武装を望めば、それをとどめることが出来る国はない。世界第2位の経済大国に対して、経済制裁を加えられる国も存在しない。日本が崩壊すれば少なくとも経済的にはいずれの国も大打撃を被るのだ。
しかしだからといって、日本がそれをすれば、それを押しとどめることが出来ないがゆえに、IAEA体制は崩壊する。そうなれば核拡散が一気に現実化するだろう。
それは世界の流動化と不安定化を招き、貿易立国日本にとっては、決して望ましくない現象である。
この国は、世界が平和で安定的であればこそ利益を享受できるのだから。



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