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20040731

日本に名誉革命はあるか

1648年のウェストファリア条約で、オランダ連邦共和国は正式に独立した。
1609年のスペインとの休戦協定で国境が確定され、事実上の独立国家ではあったのだが、スペインとの冷戦なり熱戦なりがウェストファリア条約ではっきりと終結し、ハプスブルク大帝国とその対抗諸国を基盤とした中世ヨーロッパのある意味安定していた国際秩序の時代は終わりを迎えた。
1639年、島原の乱を受けて、徳川幕府三代将軍家光はポルトガル人の来航禁止令を出し、結果的に日本との貿易をヨーロッパ諸国ではオランダが独占することになった。
16世紀の前半、ハプスブルク大帝国をそれ以外の諸国が最大の敵、あるいは仮想敵とする中で、ひとりオランダは未曾有の経済的繁栄を享受していた。
オランダが現代日本の「鏡」としてたびたび引用されるのは、奇妙に長続きした外交的安定状況(実際にはそれはドイツ30年戦争の時期でもあるのだが)の中で、状況を形成する副次的な国家でありながら、あるいはそれゆえに経済的繁栄を謳歌した姿が、冷戦期の日本とどこか似ているからである。
大ハプスブルク帝国は明らかに弱体化し、スペインとオーストリアは一枚岩ではなくなろうとしていた。
カール5世以来の国際秩序が、この時、崩壊したのだとも言える。
だとすれば、新しい時代を迎えたオランダがどのような境遇に陥ったかを見るのは、冷戦後の今日を見る際に決して無用ではなかろう。
詳しくはオランダ史の本でも読んでいただくとして、オーストリアという「主敵」が後退する中で、オランダは周辺諸国から目の敵にされ、特に英国からは三度も戦いを挑まれている。
国内では共和派の頭目ヤン・デ・ウィットと、世襲君主化しつつあったオラニエ家のウィレム3世との間で確執があり、英国のピューリタン革命や王政復古、フランスのルイ14世の領土的野心の影響に翻弄されながら、英国、フランス、帝国とあらゆる周辺諸国に攻め込まれ、経済的にも大国としての地位を滑り落ちている。
特に英国王ジェイムス2世は、長女のメアリを嫁がせたオラニエ家を後押しする姿勢で、オランダの共和派に圧力を加えながら、共和派の頭目ヤン・デ・ウィットが民衆蜂起によって虐殺され、オラニエ公ウィレム3世がオランダ総督となると、手のひらを返して、更なる対蘭戦争を画策していたのである。
すでに第三次英蘭戦争でオランダは北米の植民地を英国に割譲し、その拠点、ニューアムステルダムはニューヨーク(このヨークはヨーク公であったジェイムス2世に因んでいる)と改名されていた。
瀕死のオランダを更に絞りつくすこの新たなる対蘭戦争は、もし名誉革命が起こらず、ジェイムス2世が王位を追われなかったならばオランダに破滅をもたらしていただろう。
オランダにとっては奇跡としか呼びようのないこの僥倖によって、オラニエ公ウィレム3世は妻のメアリーとともに英国王に迎えられ、ウィリアム3世として即位することになる。
なお、ウィリアム3世の母は英国王チャールズ1世(ピューリタン革命で処刑)の娘であったから、ジェイムス2世から見れば甥ということになり(そして義理の息子でもある)、彼にも英王室の血は流れている。
名誉革命を主導したのは、英国側ではジョン・チャーチル(初代モールバラ公)だったが、その子孫であるウィンストン・スペンサー・チャーチルが第2次世界大戦の際、オランダを救出したと見なすならば、オランダはチャーチル家に2度救われたことになる。
これ以後、英国とオランダはかなり融合し、オランダはアングロサクソンのくびきにつながれ、あるいは深くそれと結びつきながら生存を可能にする道を余儀なくされていった。
それとても名誉革命がなければ、望むべくもない、予期される未来の中で最も穏当な道を、オランダは瀕死のぎりぎりの中で滑り込んで掴んだと評してもいいだろう。
翻って冷戦後の日本を見れば、アメリカのやりようは銃器こそ使用しないものの、経済大国としての日本を叩き潰すことに全力を挙げているとしか見えない。
細かい実例はここでは述べないが、グローバルスタンダードと言う名の対日コントロール、あるいは日本の締め出し、クリントン政権時代の法律強盗としか言いようのない相次ぐ日本企業狙い撃ち訴訟などを大雑把にあげておく。
冷戦が終結してすでに15年、日本がいかに冷戦に安住し、そこから利益を上げていたか、しみじみと身に染みる。
オランダのようにアングロサクソンに吸収されていく未来も決して愉快なものではない。
しかしそれとても「まだしもましなもの」であるかも知れない。
先日の重慶でのサッカーでの試合に見られるように、中国における理不尽な憎日がある中において、アメリカに一方的に頼りたくなる心理が働くのは自然の傾向だが、そのアメリカが、ジェイムス2世がオランダに抱いた以上の愛を日本に抱いているだろうと期待する根拠はなく、むしろその逆の傾向ばかり目に付く。
ため息をついたからと言って状況が改善されるわけではないが、神ならぬ身としてはため息でもついて気を紛らわせるしかない。



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