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20080505

南北正閏論

南朝・北朝の正閏を言う前にまず確認しておきたいのは、両統の分裂は南北朝期に始まったのではなく、それぞれ交互に天皇を出してきた、ということである。
つまり両方ともが天皇家であるには違いない、ということだ。
私が北朝が正統であるとする根拠は、血統である。北朝、つまり持明院統は後深草天皇に端を発する。一方、南朝、つまり大覚寺統は亀山天皇に端を発する。
両者は同じ父(後嵯峨天皇)、同じ母(西園寺?子)から生まれた正真正銘の兄弟であり、後深草天皇が兄である。
こうした場合、天皇家でも長幼の序が示されるのが普通であり、まして兄弟共に天皇になったのだから、条件はイーブンであり、そうであればなおのこと長幼の序で決定されるべきである。
従って、北朝と南朝のどちらが宗家かと敢えて言うのであれば北朝がそうであり、おのずと北朝が正統、ということになる。

対して南朝正統論の主な根拠は三つ挙げられる。

1.神器を南朝が掌握していたこと
2.北朝の天皇は武家によって擁立された傀儡政権であること
3.西園寺?子が後嵯峨天皇の遺言として亀山上皇が院政を執る、としたこと

1 については神器は即位の絶対条件ではなかった。安徳天皇が神器と共に入水した状況で、異母弟の後鳥羽天皇が擁立された前例があり、後鳥羽天皇の子孫である南朝・北朝は、神器が欠ければ皇位の正当性を欠くというのであれば、そもそもいずれも正当性がないことになる。従ってこれはナンセンスな論である。
2 について、もともと、後嵯峨天皇自体が、朝廷公家の意向を抑えて、鎌倉幕府によって擁立された天皇であり、武家の介入がなければ南朝も北朝も天皇家たりえなかった。武家の介入がなければ、土御門天皇系の後嵯峨天皇ではなく、順徳天皇系の岩倉宮に皇位が行っていたはずで、武家によって擁立されれば不可というのであれば後嵯峨天皇ならびにその子孫の南朝・北朝のいずれもが正統ではなくなるのである。
3についてはあくまで院政を誰が行うかと言う問題であり、当時、皇位にあったのは亀山天皇(亀山上皇)の息子の後宇多天皇だったのだから、父親が院政を敷くのはむしろ自然である。この一件をもって、後深草院の系統に亀山院の系統が優越するとはまったく言えない。

水戸光圀が編纂した「大日本史」においては、南朝が正統としているが、これは神器の所在を根拠にしており、従って南北朝が合同した後は、北朝系の以後の天皇も正統としている。
吉野朝が健在であった時は南朝が正統、合同してからは北朝が正統という系図は、現在の天皇家歴代の数え方と基本は同じである。
朱子学イデオロギーの日本における代表的人物として、楠木正成があてはめられ、楠木が忠臣であるためには南朝が正統でならなければならない、という倒錯した考え方である。
同父母兄弟であれば大兄(皇位継承者)になるのは兄であるという常識的かつ伝統的な考え方をすれば、おのずと北朝が正統であるのは明らかなのだ。
もちろん、天皇家の長い歴史の中では例外は確かにある。
たとえば、安徳天皇が死去した後、後白河院は高倉天皇の遺児のうち、後鳥羽天皇を選んで皇位につけている。後鳥羽天皇には同父母の兄の守貞親王がいたから、順当に行けば、守貞親王が皇位につくべきだったが、守貞親王は異母兄の安徳天皇とともに平家に同道している。
これは守貞親王が安徳天皇の皇太弟に擬せられていたからで、平家滅亡後は京都に帰還しているが、すでにその時は後鳥羽天皇が擁立された後だった。
しかしこの例は、守貞親王と後鳥羽天皇の同父母弟のうち、安徳天皇の後継者にそもそも擬せられていたのは兄である守貞親王だった、ということを意味し、ここでも本来は兄が弟に優越するのである。そのままそうはいかなかったのは、平家政権の没落という特殊な事情があったからだ。
普通であれば、兄が弟に優越するものだということがここからも言える。
天皇家でも公家でも武家でも、兄を差し置いて弟が家督を継いだ例はごまんとあるが、それらはほぼ間違いなく母親の身分に由来するのであって、側室が生んだ兄よりも正室が生んだ弟が家督を継いだという例である。
後深草天皇の亀山天皇の兄弟の場合、両者はいずれも天皇の正室である中宮を母とする、同父母兄弟なのだから、後深草天皇の系統が優先するのは当たり前なのだ。
その当たり前が、当たり前にならなかったのが日本の歴史のいびつなところである。
現実に即さない虚構のイデオロギーに現実の政治が振り回され、馬鹿げたことに朱子学的狂信は天皇機関説をも攻撃し、戦前の泥沼化を招いたのだ。

だから今、私たちが南朝正統論なる馬鹿げた虚構ときっぱりと決別することは、単に系図上の趣味的な整理を意味するのではない。それは国家に妄想が入り込むことを拒否するという態度表明である。皇居から、楠木正成の像を撤去するべきだろう。



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