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20080508

ある閨閥の末裔

英国貴族で、初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵に叙されたルイス・アレキサンダー・マウントバッテン(バッテンベルク)は元はドイツのヘッセン大公家の一族である。
王侯がコスモポリタンであるように、王侯の一族や有力な政治家も時にそうであって、生まれた国を離れて、他国の君主に仕えることも決して珍しいことではなかった。それは19世紀に入ってもなおそうだった。
有名な話では、ロシアに外交官として赴任したビスマルクが、ロシア皇帝から宰相としてスカウトされたようなことは(ビスマルクは断っている)、19世紀になってもなお稀ではなかったのである。
ヘッセン大公家と英国とのつながりでは、ヴィクトリア女王の次女アリスがヘッセン大公妃になっている。
ヘッセン大公家の支流、バッテンベルク家に生まれたルイス・アレキサンダー・マウントバッテンも当初はアリス大公妃とのコネクションを通じて英国海軍の軍人となり、後の国王エドワード7世から絶大な信頼を寄せられ、その重要な側近として、他国では海軍参謀本部幕僚総長に相当する第一海軍卿(制服組のトップ)にまでなっている。
外国の貴族がここまで高位公職を得るのは英国ではさすがに珍しいが、同時代でもさすがに反感はあったようである。引退後にルイス・アレキサンダー・バッテンベルクはヘッセン大公家に連なる身分とバッテンベルクの家名を放棄、家名をマウントバッテンと英語風に変え、侯爵に叙爵されて完全に英国人となった。
ルイス・アレキサンダー・マウントバッテンの長女アリスは、ギリシア王ゲオルギオス1世の次男アンドレアスと結婚した。国籍で言えば、英国人とギリシア人の結婚だが、その実はいずれもゲルマン人貴族であり(バッテンベルク公家とデンマーク王室のグリュックスブルク家)、両者の間に生まれた子らも、ギリシア王室のメンバーではあっても、血統的にはほぼ純粋なゲルマン系である。
ギリシア王子アンドレアスとその妻アリスの夫妻の末子にして唯一の息子がフィリッポス、現在の英国女王エリザベス2世の夫エジンバラ公フィリップである。
従ってエジンバラ公フィリップは、ギリシア王子であり、かつデンマーク王子であり(ただし両方の王子の称号は英国に帰化した際に放棄)、本来の家名はグリュックスブルク、つまりデンマークとギリシアの王朝である。
しかし、今、彼の家名はマウントバッテンとされている。母方の家名を名乗っているわけだ。
彼が1歳の時、ギリシアで革命が起こり、以後、フィリップ(フィリッポス)はパリ、次いで英国で養育された。母の母であるヴィクトリア(ヘッセン大公妃アリスの娘で、ヴィクトリア女王の孫にあたる)とその弟たち、二代ミルフォード・ヘイヴン侯爵と、初代マウントバッテン・オブ・ビルマ伯爵ルイス・マウントバッテン(第二次大戦中の東南アジア地域軍総司令官、最後のインド総督でもある)が、フィリップの養育にあたった。
つまりフィリップはマウントバッテン家によって養育されたようなものであり、自身も英国海軍に後に入った。英国海軍ではマウントバッテンの家名は絶大な影響力があったから、フィリップはドイツ風で馴染みの薄いグリュックスブルクの家名を捨て、マウントバッテンを名乗っている。
彼はギリシア王ゲオルギオス1世の孫、デンマーク王クリスチャン9世の曾孫、英国女王ヴィクトリアの玄孫だった。
当時の英国王ジョージ6世は、ヴィクトリア女王の曾孫にあたるのはもちろんながら、父方の祖母がデンマーク王女アレクサンドラ(ギリシア王ゲオルギオス1世の姉)であることから、父方を通しても母方を通しても、フィリップ・マウントバッテンは近縁の親戚ということになる。
ごく近い、親戚付き合いを通して、暫定王位継承者のエリザベス王女との関係が生じ、1947年7月に結婚している。その時点で、すでにギリシアとデンマークの王子の称号を帰化に際して放棄していたフィリップは、ただのフィリップ・マウントバッテンであったため、義父のジョージ6世からエジンバラ公に授爵されている。
ただこの時点では His Royal Highness の敬称はつけられていたものの単にエリザベス王女の夫というに過ぎず、王子ではなかった。
エリザベス2世が即位後の1957年に Prince の称号が授与されている。ギリシアとデンマークの王子として生まれ、その称号を失った後に、英国の王子になったわけである。

1960 年に勅令で女王夫妻の間に生まれた子孫の姓がマウントバッテン・ウィンザーとなることが決まった。従って夫妻の子と男系の子孫の姓はマウントバッテン・ウィンザーになる。このことがそのまま次代の王朝名がマウントバッテン・ウィンザーとなることを意味しない。王家の家名と王朝名は必ずしも一致しない(英国の場合はおおよそ一致してきたのだが)。前例を踏まえれば、チャールズ皇太子が即位後はマウントバッテン・ウィンザー朝となることは予想されるが、まだ決まっているわけではない。



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