log1989
index about link bbs mail


20080510

ラ・マルセイエーズ

1992年の冬季五輪はフランスのアルベールビルで開催された。
その開会式で、少女があどけない顔で、ラ・マルセイエーズを歌うのを見て、フランス国内では、自国のこの国歌が余りにも血なまぐさ過ぎるとの声が改めて上がった。
戦争や革命の情景を描いた国歌は決して珍しくはない。
旧西側主要先進七ヶ国にロシアと中国を加えて比較してみるに、

1.革命や戦争など歴史的な事件に由来する歌詞を持つ国歌
(アメリカ、フランス、イタリア、中国)
2.王室を賛美する国歌
(日本、英国)
3.風土・自然を賞賛する国歌
(カナダ、ロシア、ドイツ)

に分類される。カテゴリー2やカテゴリー3に属する国歌であっても、「君が代」が過去の軍国主義と結び付けられて批判されたり、ドイツ国歌の「世界に冠たるドイツ」というフレーズが問題視されたり、あるいは旧ソ連国歌のメロディをそのまま流用したロシア国歌がウクライナやバルト三国などからロシア帝国主義のあらわれと批判されるなど、文脈的に「暴力的」な要素がまったくないわけではないのだが、直接的に敵の粉砕を称揚するカテゴリー1の国歌は、そうした文脈云々以前にテキストとして暴力性が強い。
その中でも、他国の歌詞の暴力性など、礼儀正しいと思えるほどに抜きん出て圧倒的に暴力的なのがフランス国歌ラ・マルセイエーズで、成立の特殊性がそれに起因している。
多くの国では国歌は作詞作曲者が別、元々別の曲に別の歌詞をあてはめた、というような例が多く、少なくとも成立にしばらくは時間がかけられているのだが、ラ・マルセイエーズはほとんど1日で作られている。
1792年4月、フランス革命政府(ジロンド派内閣)の決定に従って、名目上の王であったルイ16世はオーストリアに宣戦布告をした。
この戦争は革命を守る戦いであり、同時に祖国防衛戦でもあった。ストラスブール駐屯軍の若き工兵大尉ド・リールは、宣戦布告の知らせを受けるとただちにライン方面軍軍歌の作成にとりかかり、後にラ・マルセイエーズと呼ばれることになる、この楽曲を発表している。
宣戦布告の高揚した感情と情勢の中で作られたこと、ほぼ1日で作られたと言う即興性、革命の大義を守り祖国を防衛するという使命感、更にはストラスブールが最前線に位置し、その方面軍に属する軍人によって作られたという事情が、ラ・マルセイエーズを抜きん出て血なまぐさいものにしている。
その一番の邦訳を以下に載せる(ソースはウィキペディア)。

 いざ進め 祖国の子らよ
 栄光の日は やって来た
 我らに対し 暴君の
 血塗られた軍旗は 掲げられた
 血塗られた軍旗は 掲げられた
 聞こえるか 戦場で
 蠢いているのを 獰猛な兵士どもが
 奴らはやってくる 汝らの元に
 喉を掻ききるため 汝らの女子供の
 
 武器を取れ 市民らよ
 組織せよ 汝らの軍隊を
 いざ進もう! いざ進もう!
 汚れた血が
 我らの田畑を満たすまで



平和の祭典である五輪で、各国の選手団や首脳が集い、世界にテレビ中継する中で、あどけない少女がこのような血なまぐさく、外国人に対して敵対的な歌をうたったものだから、さすがにこれは今の時代の歌としていかがなものかという意見が出されたのである。
同じく戦争を歌った国歌であるにせよ、アメリカ合衆国の国歌は「イギリス軍に攻撃されたけど、砦にはまだアメリカ国旗がはためいている、ああうれしや」という内容なので、フランス国歌と比較すれば攻撃性に段違いの差がある。
敵兵の血を田畑の肥料にしようというのだから、いくらなんでも攻撃的に過ぎるが、この歌がほとんど開戦当日に作られた、それも最前線で、それも実際に戦う軍人が軍隊向けに作成したという事情をふまえずして歌詞の過激さは説明できない。
アルベールビル冬季五輪が開催された1992年の3年前、1989年はフランス革命200年際であり、フランスではこの年の巴里祭(革命記念祭)は盛大に行われた。ちょうど先進国首脳会議がフランスで開催される年にあたり、ミッテランが主導して行われたパリ大改装計画のシンボルである新凱旋門(アルシュ)に、ブッシュ、サッチャー、コールらの先進諸国首脳が一堂に会し、フランス革命200年を祝した。
1989年はちょうど冷戦の終わりの終わりの年にあたり、中国では天安門事件が起こり、その年の秋以後にかけては東欧革命が勃発するのだが、アルシュ・サミット、ならびにフランス革命200年祭は西側諸国の結束を誇示するとともに、フランス革命をひとつの起源とする民主主義思想の勝利を喧伝する場にもなった。
一方で、フランス革命の歴史的な意義についても賛否両論の議論がフランス国内でさかんに行われ、むしろ否定派が多数を占める(あそこまで残虐になる必要はなかった、革命を経ずしても穏健な改革によってその成果はおのずと達成されていたはず、成果があったにせよ犠牲が大きすぎ)結果となった。
私自身はフランス革命を肯定的に捉えているが、もちろん批判的に検討されるべき点も多いと考えている。
ラ・マルセイエーズ見直し論も単に五輪を理由として生じたものと言うよりは、そうした大革命見直し論に沿って提出されたものだと考えたほうがいい。
もっとも、アルベール五輪以後、この問題は再び世論の関心を失って、なにごともなかったかのように、ラ・マルセイエーズは歌われ続けている。そんなことよりも人々は日々の暮らしの中に生きてゆくことを優先しなければならないのだ。

以下は余談として。
ラ・マルセイエーズと比較すればほとんどの国歌は穏健なものになるが、日本国の国歌「君が代」は軍国主義を想起させると言うコンテクストを排除すれば、テキスト自体はなんの変哲もない、平和なものである。
「君の代が永遠に続きますように。いやさかにいやさかに」
というだけのことであって、問題があるとすれば、君とはいったい誰なんだよ、ということだけだ。
普通に解釈すれば天皇だろうが、江戸時代には遊女を対象とした恋歌として知られていたともいう。
「君」という語には多義性があって、もちろん君主という意味もあったのだが、想い人を指す言葉でもあった。
源氏物語で「〜の君」という場合、恋愛モードで用いられており、三人称として用いられる時は、やや格下の相手を指している。源氏の愛人になるような女性ならばともかく、正室になるような立場の女性には用いられないということだ。
豊臣秀頼の母を淀君と呼ぶのはこれは江戸時代に広まった呼称で、ある種の蔑称である。
遊女なり、きちんとした身分の女性には用いられない言い方をしているのであって、同時代の将軍の側室などには、「〜の御方」という言い方はしても「〜の君」というような言い方はしない。
もちろん君と書いて、君主の意味に用いる例も江戸時代にもあるのだが、その場合は「くん」と音読みをするのであって「きみ」ではない。
仮に「きみ」が天子を意味するものだとしても、厳密に天子個人を指すのではなく「この世」というような茫漠とした意味を含んでいると解釈されるべきものだろう。



| | Permalink | 2008 log


inserted by FC2 system